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義務化後に問われるのは体制の有無ではなく事実確認の運用
事案が起きたとき何が記録として残り、その記録に基づいて組織がどう判断したかが施行後の焦点になる。
該当しないと判断した事案も、判断根拠とともに残す
指針は認定できなかった場合にも再発防止を求める。蓄積が担当者の感覚を組織の線引きの基準に育てる。
要求と言動を分け、社内ハラスメント記録と同じ基盤で管理
分離が正当なクレームとの線引きを担保する。専用台帳の孤立を避け、役割単位の閲覧権限で引き継ぎ可能にする。
2026年10月1日、改正労働施策総合推進法が施行され、カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)を防止するための雇用管理上の措置が、すべての事業主の法的義務となりました。方針の明確化、相談体制、マニュアル、研修。施行日までにこれらを整えた企業は少なくないはずです。しかし、施行後の現場で実際に問われるのは、体制の有無ではなく「事案が起きたとき、何が記録として残り、その記録に基づいて組織がどう判断したか」です。
厚生労働省の「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」によれば、過去3年間に顧客等からの著しい迷惑行為の相談があった企業は27.9%で、前回調査から8.4ポイント増加しています。相談は増え続けているのに、その多くは担当者の記憶と断片的なメモの中に留まり、組織の判断材料にはなっていません。
本記事は、義務化対応のToDoリストではなく、施行後に機能する事実確認の運用に焦点を当てます。指針が求める事後対応を記録の観点から分解し、該当しないと判断した事案の残し方、社内のハラスメント記録との統合、従業員を不利益から守る手順を整理しました。義務化の全体像と記録項目の型は、姉妹記事「カスハラ対策の義務化|企業に求められる措置と従業員を守る記録の実務」で扱っています。経営層・人事責任者・現場マネージャーが同じ基準で語れる、属人化しない組織運営の共通言語として、ご活用ください。
1. カスハラ対策義務化で何が変わったのか
1-1. 法律上の定義と3つの要素
改正労働施策総合推進法は、職場におけるカスハラを次の3要素をすべて満たすものと定義しています。第一に、顧客、取引の相手方、施設の利用者その他事業に関係を有する者(顧客等)の言動であること。第二に、労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして、社会通念上許容される範囲を超えたものであること。第三に、その言動により労働者の就業環境が害されること。電話やSNSなどインターネット上の言動も含まれます。
重要なのは、この3要素が「事実」と「評価」の両方を含んでいる点です。第一と第三の要素は、誰の言動か、就業環境に何が起きたかという観察に近い事実です。一方、第二の要素は社会通念上の評価であり、記録だけでは決まりません。カスハラ該当性の判断は、事実の記録と、記録に基づく評価を分けて行う構造になっており、この分離こそ本記事の主題です。
1-2. 対象と施行日、そして猶予がないこと
対象は、労働者を1人でも雇用するすべての事業主です。パワハラ防止措置の際に設けられた中小企業向けの猶予期間は、今回はありません。接客業・サービス業に限らず、BtoBの取引先からの言動も「顧客等」に含まれます。
1-3. 指針が求める措置の柱
令和8年厚生労働省告示第51号(カスハラ防止指針)は、事業主が講ずべき措置として、①方針等の明確化と周知・啓発、②相談に応じ適切に対応するための体制整備、③事後の迅速かつ適切な対応、④プライバシー保護と不利益取扱いの禁止、⑤悪質な事案への抑止措置をあらかじめ定めて周知すること、を整理しています。このうち③は、事実関係の迅速かつ正確な確認、被害を受けた労働者への配慮、行為者への適正な措置、再発防止措置の4つで構成されます。
2. なぜ「記録」が義務化対応の中核になるのか
2-1. 事後対応の4つは、すべて記録を前提にしている
事実関係の確認は、誰が何を言い、対応者がどう応じたかの記録があって初めて「正確」になります。被害者への配慮は、その労働者にどのような影響が出たかの観察記録がなければ、内容を決められません。行為者への措置は、当該顧客等に取引停止や警告を行う根拠として、具体的な言動の記録を要します。再発防止は、過去の事案を横断的に見なければ、傾向も対策も導けません。
2-2. 「カスハラと認定できなかった事案」にも再発防止が求められる
見落とされやすい点として、指針は、事実確認の結果カスハラの事実が確認できなかった場合であっても、再発防止に向けた措置を講ずることを求めています。つまり「相談はあったが該当しないと判断した事案」も、判断の根拠とともに残す必要があります。この種の記録が蓄積されて初めて、自社における社会通念上の線引きが、担当者の感覚ではなく組織の基準として育っていきます。
2-3. 従業員を不利益から守る根拠としての記録
指針は、労働者が事実確認等に協力したことを理由に解雇その他の不利益な取扱いを受けないことを定め、周知することも求めています。カスハラ対応では、顧客を怒らせた責任を従業員に問う空気が現場に生まれがちです。「対応が悪かったから客が怒った」という評価が、後から処遇に影響するリスクは現実にあります。このとき、事案発生時の記録が、従業員の対応が適切であったことを示す唯一の客観資料になります。記録は会社を守るためだけでなく、従業員を守るためにも存在します。
3. カスハラ記録は誰を守る記録か
3-1. 顧客を裁く記録ではなく、従業員の証言を支える記録
社内のハラスメント対応では、行為者と被害者の双方が労働者であり、双方に弁明の機会を与える手続きが前提になります。カスハラの場合、行為者は社外の人物です。企業は顧客を懲戒できませんし、顧客の言い分を聞く手続きも社内ほど整っていません。この非対称性のために、カスハラ記録は「顧客に不利な証拠を集める」方向に傾きやすく、記録者の憤りが混入しやすい性質を持っています。
しかし、記録の目的は顧客を裁くことではありません。従業員が体験した出来事を、その従業員一人の記憶と主張に背負わせず、組織の記録として引き受けることです。「自分の言い分が信じてもらえるか」という不安を従業員に抱かせない状態を作ることが、記録の第一の役割です。
3-2. 正当なクレームとの線引きは、記録で担保する
指針は、正当な苦情や要望など、社会通念上許容される範囲の申入れはカスハラに該当しないと明示しています。商品やサービスに欠陥があり、顧客が強い口調で改善を求めた場合、それは企業が真摯に対応すべき申入れです。ここを誤ると、正当な批判を「カスハラ」と呼んで遮断する組織になり、顧客との信頼だけでなく、サービス改善の機会も失います。
線引きを担保するのは、やはり記録です。顧客が何について、どのような要求を、どのような言動で行ったかが事実として残っていれば、要求内容の妥当性と言動の態様を分けて評価できます。「要求は妥当だが、態様が許容範囲を超えている」「態様は激しいが、要求は正当で、こちらの説明不足が原因」といった判断は、事実が分離して記録されて初めて可能になります。これは、労働者側の保護と顧客側の公正の両方に資する考え方です。
4. 何を残すか:カスハラ記録の項目設計
4-1. 事実と所感を欄として分ける
記録設計の原則は、社内のハラスメント記録や指導記録と同じです。事実と所感を分離し、事実は5W1Hで、三人称で記述します。「顧客が『〇〇』と発言した」「対応者が〇〇と説明した」「顧客は約40分間、カウンターから離れなかった」という形です。「威圧的だった」「理不尽だった」は評価であり、事実欄には書きません。
ただし、所感を消す必要はありません。対応した従業員がどう受け止め、その後の業務にどのような影響が出たかは、定義の第三要素「就業環境が害されたか」の判断に直結する情報です。所感は所感の欄に、事実は事実の欄に、分けて残すことが要点です。
4-2. 記録項目は「要求」と「言動」を分ける
記録様式の項目構成(日時・場所・チャネル、顧客等の情報、対応者、言動、対応経過、客観資料、従業員への影響など)は、姉妹記事「カスハラ対策の義務化」で整理しています。本記事で強調したいのは一点、顧客等の要求内容と言動の態様を別の項目として残すことです。この分離が、前章で述べた正当なクレームとの線引きを支えます。加えて、一次判断者と判断内容、該当しないと判断した場合はその根拠を残す欄を設けておくと、§2-2で述べた「認定に至らなかった事案の再発防止」に対応できます。
4-3. 「その場で残す」を仕組みで支える
カスハラ記録の最大の敵は時間です。対応直後の記憶は具体的ですが、翌日には要約され、1週間後には印象だけが残ります。指針が「迅速かつ正確」な事実確認を求めているのは、この記憶の劣化を踏まえたものと考えるべきでしょう。紙の様式を総務に提出させる運用では、多忙な現場ほど記録が後回しになります。対応直後に、その場で、最小限の入力で残せる仕組みが、様式の設計と同じくらい重要です。
5. 事実確認の進め方:施行後に回る手順
5-1. 初動:安全確保と一次記録
事案発生時の初動は、従業員の安全確保と上席への引き継ぎです。一人で対応させないこと、必要に応じて管理監督者が代わることは、指針でも周知すべき対処内容として示されています。初動の直後に、対応した従業員が一次記録を残します。この段階では完璧を求めず、時刻・発言の要旨・対応経過が残っていれば十分です。
5-2. 本人からの聴取と客観資料の照合
翌営業日までに、人事または労務担当が対応者本人から聴取します。聴取は責任追及ではなく事実の補完が目的であることを、冒頭で明確に伝えます。一次記録をもとに時系列の抜けを埋め、通話録音や防犯カメラ映像、メールなどの客観資料と照合します。防犯カメラ映像は上書きされる前に保全する必要があるため、初動段階で保全依頼を出す手順を決めておきます。
5-3. 該当性の判断と、判断根拠の記録
集まった事実をもとに、社会通念上許容される範囲を超えているかを判断します。この判断は現場の管理職一人に委ねず、人事・法務を含む複数人で行うことが望ましく、判断者と判断根拠を記録に残します。該当しないと判断した場合も、なぜそう判断したかを残します。判断の記録は、後に従業員や顧客から異議が出たときに、組織としての説明責任を果たす基盤になります。
5-4. 対処と従業員フォロー、再発防止
該当すると判断した場合、顧客等への対処(対応窓口の一本化、書面での警告、取引の見直し、必要に応じて警察や弁護士への相談)を、あらかじめ定めた方針に沿って行います。並行して従業員への配慮措置を実施し、その内容を記録します。一定期間を置いて再度面談する仕組みを設けると、事案直後には見えなかった影響を拾えます。最後に、事案の記録を個人情報に配慮した形で組織として検証し、対応手順や商品・サービス、接客方法に改善点があれば反映します。
6. 社内ハラスメント記録と同じインフラで管理すべき理由
6-1. 「カスハラ専用の台帳」が孤立するリスク
義務化を機に、カスハラ専用の報告様式や台帳を新設する企業は多いでしょう。しかし、それが社内のハラスメント記録、指導記録、面談記録と別の場所に置かれると、問題が生じます。同じ従業員が社内では指導対象になっていて、社外からはカスハラを受けている、という状況は珍しくありません。記録が分断されていると、その従業員に何が起きているのかを、誰も横断して見ることができません。
6-2. 閲覧権限と引き継ぎ可能性
カスハラ記録には、顧客の個人情報と従業員の心身に関する機微な情報が含まれます。現場の誰でも見られる状態は不適切ですが、担当者しか見られない状態では、異動や退職とともに記録が失われます。役割単位で閲覧権限を制御し、担当者が変わっても組織に記録が残る設計が必要です。これは社内ハラスメント記録にそのまま当てはまる要件であり、同じ基盤で管理する合理性がここにあります。
6-3. 専門家連携の質は、記録の質で決まる
顧客等への警告書の作成や取引停止の判断、刑事事件該当性の検討は、弁護士や社労士との連携が前提です。「怒鳴られて怖かった」という報告と、「〇日〇時から約40分、『〇〇』と繰り返し発言し、退去要請に応じなかった」という記録では、専門家が検討できる選択肢の幅が違います。時系列で整理された事実記録の有無で、助言の精度と速度は大きく変わります。
7. よくある誤解と実務上の疑問
Q. 録音は相手に伝えなければならないのか。
会話の当事者が自ら録音することは一般に違法ではなく、業務対応の録音は業務管理の範囲内と解されていますが、従業員個人の判断による録音と、会社として方針化した録音では位置づけが異なります。組織として運用するなら、録音の方針、保存期間、閲覧権限をあらかじめ定め、個別の適法性は弁護士に確認することをお勧めします。
Q. 記録を残すと、従業員が「監視されている」と感じないか。
記録の目的が従業員の保護にあることを、様式と運用の両方で示すことが重要です。記録が処遇評価に流用されないこと、内容を本人が確認できること、対応が適切であったと組織が認めた事実も記録に残ること。これらが担保されていれば、記録は監視ではなく、従業員の証言を支える基盤として受け止められます。
Q. BtoBの取引先からの言動も対象になるのか。
なります。法律上の「顧客等」には取引の相手方が明示されています。取引関係の維持を優先して従業員に我慢を強いる構造は、義務化後は明確なリスクです。取引先対応の記録も、同じ様式・同じ基盤で残す設計にしておく必要があります。
Q. 小規模事業者でも同じ体制が必要か。
措置義務に規模の例外はありませんが、体制の作り方は規模に応じて簡素で構いません。方針の周知、記録様式の統一、相談先(社内の責任者と外部の専門家1人)の明確化。この3点があれば、最小限の体制として機能します。
8. MONTAIによるカスハラ記録の運用
MONTAI(モンタイ)は、問題社員対応から派生した人的リスク管理インフラです。
フォーマットの標準化:管理職が迷わず記録できる項目設計。事実と観察の分離を構造として誘導します。カスハラ記録においても、顧客等の言動という事実と、従業員の所感・影響という観察を、欄として分けて残せます。
1分記録:スマートフォン・業務端末から、面談直後にその場で記録が完了します。顧客対応の直後、記憶が具体的なうちに一次記録を残す運用を、現場の負担を増やさずに定着させます。
閲覧権限の厳格な制御:機微な記録を、上司・人事・経営・法務などの役割単位で制御できます。顧客の個人情報と従業員の心身に関する情報を含むカスハラ記録を、必要な人だけが参照できる状態で組織に残します。
AIによる規程ピックアップ補助:記録内容に応じて関連する社内規程を自動で提案します(判断はあくまで担当者が行う補助機能)。施行に合わせて整備したカスハラ対応方針や相談窓口規程を、事案の記録と紐づけて参照できます。
なお、MONTAIは人事判断・法的判断を代替するものではありません。カスハラ該当性の判断、顧客等への対処、制度設計や個別事案については、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。MONTAIは、その相談と判断の質を支える記録のインフラとして機能します。
まとめ
カスハラ対策の義務化は、2026年10月1日にすべての事業主に適用されました。施行後に問われるのは体制の有無ではなく、事案が起きたときに何が記録として残り、その記録に基づいて組織がどう判断したかです。指針が求める事後対応の4つ(事実確認・被害者配慮・行為者措置・再発防止)はいずれも記録を前提にしており、該当しないと判断した事案も、判断根拠とともに残す必要があります。
カスハラ記録は顧客を裁くための記録ではなく、従業員の証言を組織が引き受け、不利益から守るための記録です。同時に、要求内容と言動の態様を分けて残すことで、正当なクレームとの線引きを担保し、顧客側の公正も守ります。事実と所感を欄として分け、対応直後にその場で残し、社内ハラスメント記録と同じ基盤で権限管理する。この設計が、義務化対応を形式から実質に変えます。
参考・引用
労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律(令和7年法律第63号、令和7年6月11日公布、カスタマーハラスメント防止措置は令和8年10月1日施行)
事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号、令和8年2月26日)
厚生労働省「令和7年労働施策総合推進法等の一部改正について」
厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(令和8年度改訂版)」
厚生労働省委託事業「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査報告書」(令和6年3月)
事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和2年厚生労働省告示第5号)
関連リンク(MONTAI)
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本記事の位置づけ
本記事は、カスタマーハラスメント対策の義務化と、事案対応における記録の設計に関する一般的な解説であり、特定の事案に対する法的・実務的な助言を提供するものではありません。カスハラ該当性の判断、顧客等への対処、録音の適法性、制度設計など個別の事案対応については、社会保険労務士・弁護士等の専門家への相談をお勧めします。