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人的リスク=個人の行動×組織の対応の不備×時間
個人の行動は事象にすぎず、放置と記録の欠如が時間とともに掛け合わさって損失に育つ。
広義・中義・狭義の三つの層、仕組みが欠けるのは狭義
ERMや人的資本開示が整っても、個別事象への日々の対応という狭義の層は多くの組織で未整備である。
管理できるのは第二項、観察と記録・規程照合・判断の記録
個人は制御できないが組織の対応は設計できる。三つの機能が人的リスク管理の中身になる。
「人的リスク」という言葉は、人的資本経営、オペレーショナルリスク、労務コンプライアンスなど、さまざまな文脈で使われるようになりました。しかし、その定義は文脈ごとに広さが異なり、経営会議で「人的リスクを管理する」と言ったときに、出席者が同じものを思い浮かべているとは限りません。
本記事では、人的リスクを「個人の行動・状態」「組織の対応の不備」「時間」の三つの要素の掛け算として定義し、広義・中義・狭義の三つの層に整理します。そのうえで、労務リスク・人事リスク・ハラスメント対策といった隣接概念との境界を示し、組織が実際に管理できる範囲がどこにあるのかを明らかにします。経営層・人事責任者・現場管理職の間で、人的リスクを語るための共通言語としてご活用ください。
人的リスクの定義
人的リスクとは、社員個人の行動や状態に起因して、組織の価値・信用・存続が損なわれる可能性のことです。ここで重要なのは、個人の行動そのものは、まだリスクではないという点です。
遅刻の繰り返し、業務上のミス、周囲との摩擦、パフォーマンスの低下。これらは職場で日常的に起きる「事象」であり、どの組織にも一定の頻度で発生します。事象がリスクに変わるのは、その事象に対して組織が適切に対応できなかったときです。放置する、担当者の記憶にしか残らない、判断の基準がない。こうした「組織の対応の不備」が事象に掛け合わさり、さらに時間が経過することで、事象は損失へと育っていきます。
この関係を式で表すと、次のようになります。
人的リスク = 個人の行動・状態 × 組織の対応の不備 × 時間
掛け算であることには意味があります。個人の行動がどれほど深刻でも、組織の対応が適切であれば、第二項が小さくなり、リスクは事象のまま終わります。逆に、些細な事象であっても、放置された時間が長ければ、選択肢は狭まり、損失は膨らみます。人的リスクとは、出来事そのものではなく、兆候と向き合えなかった時間の蓄積なのです。
なぜ「掛け算」で捉えるのか
足し算ではなく掛け算で捉える理由は、管理できる項がどれかを明確にするためです。個人の行動や状態は、組織が直接制御できるものではありません。採用時の見極めや育成で確率を下げることはできても、ゼロにはできません。一方で、組織の対応の不備は、組織自身が制御できる変数です。記録の仕組み、判断の基準、初動の手順は、すべて組織側の設計で決まります。
したがって、人的リスク管理とは、右辺の第二項を限りなくゼロに近づける営みだと言えます。この整理によって、「問題のある社員をどうするか」という個人の問題から、「組織の対応をどう設計するか」という仕組みの問題へと、論点が移ります。
人的リスクの三つの層
人的リスクは、文脈によって指す範囲が異なります。混乱を避けるために、三つの層に分けて整理します。
広義:オペレーショナルリスクとしての「人」
金融機関のリスク管理や全社的リスクマネジメント(ERM)の枠組みでは、オペレーショナルリスクの発生源として「人」「プロセス」「システム」「外部事象」が挙げられます。この文脈での人的リスクは、不正、過失、内部統制の逸脱など、人に起因するあらゆる損失事象を含みます。最も広い層であり、既にERMやコンプライアンス体制がカバーしている領域です。
中義:人材リスク(人的資本の裏面)
人的資本経営の文脈では、人材の採用・定着・育成に関するリスクが語られます。キーパーソンの離脱、採用のミスマッチ、スキルの陳腐化、エンゲージメントの低下などです。人的資本という「資産」の価値が毀損する可能性として捉えられ、人的資本開示の対象にもなります。この層は、CHROや人事企画部門が主に担っています。
狭義:個別の事象に対する組織の対応
最も内側の層が、本記事で扱う人的リスクです。特定の社員の行動や状態が事象として現れたとき、組織がそれをどう観察し、記録し、規程と照らし合わせ、判断するか。この対応プロセスの不備が、紛争、離職の連鎖、情報流出、信用毀損といった損失につながります。広義・中義の層が「制度と方針」の問題であるのに対し、狭義の層は「日々の運用」の問題です。そして、この層を担う仕組みは、多くの組織でまだ整っていません。
隣接概念との境界
人的リスクと似た言葉は多く、それぞれに使われる場面と主語が異なります。
労務リスク・労務トラブル
「労務」は業務の語であり、労務担当者や社労士が主語になりやすい言葉です。「労務トラブル」は有事の状態を示す言葉であり、既に問題が顕在化した状態を指します。人的リスクは、顕在化する前の状態を含み、組織の状態を主語にする点で異なります。統計や制度を引用する際は「個別労働紛争」という行政用語が使われます。
人事リスク
人事制度や人事施策に伴うリスク(評価制度の不備、配置の失敗など)を指すことが多く、制度設計の側から語られます。人的リスクは、制度が整っていても運用で生じる不備を含みます。
ハラスメント対策
パワーハラスメント防止措置(労働施策総合推進法)をはじめ、法令上の義務として整備が進んでいる領域です。人的リスクの一部ではありますが、人的リスクはハラスメントに限らず、勤怠、パフォーマンス、情報管理、健康状態など幅広い事象を対象にします。
問題社員
「問題社員」は、人にラベルを貼る言葉です。検索語としては広く使われていますが、組織の対応を設計する場面では、人ではなく「不適合」という事象と、それに対する「組織の対応」を主語にする方が、論点がぶれません。人的リスクという言葉は、この主語の転換を促す語彙でもあります。
人的リスクが損失に至る構造
人的リスクは、次の四つの段階を経て損失に至ります。
第一に、源泉です。個人の行動や状態として、事象が発生します。これは避けられません。
第二に、増幅器です。組織の対応の不備が、事象を増幅します。記録がない、判断の基準がない、担当者が替わると経緯が失われる、といった状態です。
第三に、顕在化です。増幅された事象が、紛争、退職、通報、報道といった形で表面化します。労働審判の申立て、労働局へのあっせん申請、SNSでの告発などがこれに当たります。
第四に、損失です。解決金、弁護士費用、対応に費やした管理職と人事の時間、周囲の離職、採用への悪影響、信用毀損。会計上は認識されない「人的な特別損失」として、組織の体力を削ります。
厚生労働省の「個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、総合労働相談件数は年間120万件を超える水準で推移しており、民事上の個別労働紛争に関する相談も年間約27万件に上ります。顕在化の段階に至る事象は、決して例外的なものではありません。
組織が管理できる範囲
人的リスクの定義式に戻ると、組織が管理できるのは「組織の対応の不備」と「時間」の二つです。具体的には、次の三つの機能を組織として持つことが管理の中身になります。
観察と記録
事象が起きたときに、事実を記録する仕組みです。日付、場所、起きたこと、注意・指導した内容、本人の説明を、評価や推測を交えずに残します。「事実と観察の分離」は、記録が後に第三者の検証に耐えるための基本です。
規程との照合
記録した事象が、就業規則のどの条項に関わるのかを確認する仕組みです。該当する条項があれば、その手順に従って対応します。該当する条項がなければ、それは規程の穴であり、改訂の起点になります。判断の前に必ず規程を通すことで、担当者の独自判断を避けられます。
判断の記録
是正するのか、配置を換えるのか、退出に向かうのか。どの出口を選ぶかは当事者と決裁者が決めることですが、その判断に至った根拠は記録として残す必要があります。後に同種の事案が起きたとき、処分の均衡を保つ材料になるからです。
よくある誤解
「人的リスク管理とは、問題社員を排除することだ」という誤解があります。定義式が示すとおり、管理の対象は個人ではなく組織の対応です。記録と照合が整った組織では、是正で終わる事案が増え、退出に至る事案は減ります。
「記録を残すのは、社員を監視することだ」という懸念もあります。監視は常時・全員・無断で行われるものですが、ここでいう記録は、事象が起きたときに、本人に伝えた内容を、本人の説明とともに残すものです。記録は労使双方の公正性を担保する道具であり、働く側にとっても、根拠のない評価や突然の処分から身を守る手段になります。
「うちは人的リスクとは無縁だ」という認識も少なくありません。しかし、採用の数だけ不適合は発生します。問題は起きるかどうかではなく、起きたときに組織が対応できる状態にあるかどうかです。
ケースで見る「掛け算」の違い
定義式が実務でどう働くかを、同じ事象から始まる二つのケースで見てみます。
あるIT企業で、入社2年目の社員に納期遅れが続き、周囲がフォローに回る状態が生じました。ここまでは「個人の行動・状態」であり、どの組織でも起こり得る事象です。
一つ目の組織では、上司が口頭で注意しましたが、記録は残しませんでした。3か月後に周囲の一人が退職を申し出て、人事が初めて事態を把握します。上司に経緯を尋ねても、いつ、何を注意したかを正確に思い出せません。就業規則のどの条項に関わるのかも整理されておらず、対応方針を決められないまま、さらに2か月が過ぎました。この組織では、「組織の対応の不備」が大きく、「時間」が5か月分乗じられています。事象は、周囲の離職と、本人への対応の選択肢の縮小という損失に育ちました。
二つ目の組織では、最初の納期遅れの時点で、上司が日付・事実・伝えた内容・本人の説明を記録し、就業規則の服務規律の条項を確認しました。2回目の遅れで書面による指導を行い、改善策を本人と合意しました。人事はこの時点で記録を共有され、方針を確認しています。その後、本人の業務量の調整と担当の見直しを経て、納期遅れは解消しました。この組織では、事象は事象のまま終わっています。
二つのケースで、個人の行動は同じです。違いは第二項と第三項、つまり組織の対応と時間だけです。人的リスクの定義を掛け算で捉える意味は、この違いを組織の設計の問題として扱えることにあります。
三つの層が混同されるとどうなるか
もう一つ、層の混同が引き起こす典型的な事態にも触れておきます。経営会議で「人的リスクへの対応を強化する」と決めたとき、CFOは広義のオペリスクを、CHROは中義の人材リスクを、人事部長は狭義の個別対応を思い浮かべていることがあります。結果として、ERMの枠組みが見直され、人的資本開示の項目が増えても、現場の記録の仕組みは何も変わらない、ということが起こります。層を分けて語ることは、どの層に投資するかを明示的に決めるためでもあります。
MONTAIによる人的リスク管理
MONTAI(モンタイ)は、問題社員対応から派生した人的リスク管理インフラです。
フォーマットの標準化:管理職が迷わず記録できる項目設計。事実と観察の分離を構造として誘導します。
1分記録:スマートフォン・業務端末から、面談直後にその場で記録が完了します。
閲覧権限の厳格な制御:機微な記録を、上司・人事・経営・法務などの役割単位で制御できます。
AIによる規程ピックアップ補助:記録内容に応じて関連する社内規程を自動で提案します(判断はあくまで担当者が行う補助機能)。
定義式でいえば、MONTAIが扱うのは「組織の対応の不備」の項です。観察と記録、規程との照合、判断の記録という三つの機能を、担当者の経験に依存しない型として提供します。
なお、MONTAIは人事判断・法的判断を代替するものではありません。制度設計や個別事案については、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。MONTAIは、その相談と判断の質を支える記録のインフラとして機能します。
まとめ
人的リスクとは、「個人の行動・状態」×「組織の対応の不備」×「時間」の掛け算です。個人の行動は制御できませんが、組織の対応の不備は制御できます。広義・中義・狭義の三つの層のうち、日々の運用に関わる狭義の層が、多くの組織で仕組み化されていません。観察と記録、規程との照合、判断の記録という三つの機能を組織として持つことが、人的リスク管理の中身です。
参考・引用
厚生労働省「令和6年度 個別労働紛争解決制度の施行状況」
労働契約法第15条(懲戒)、第16条(解雇)
労働施策総合推進法第30条の2(パワーハラスメント防止措置)
金融庁「主要行等向けの総合的な監督指針」オペレーショナル・リスク管理に関する項
経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」
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本記事の位置づけ
本記事は人的リスクの定義と構造に関する一般的な解説であり、特定の事案に対する法的・実務的な助言を提供するものではありません。個別の事案対応については、社会保険労務士・弁護士等の専門家への相談をお勧めします。