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はじめに
「うちにも、モンスター社員がいるんですよ」
経営者や人事担当者の方から、こうした言葉を聞くことがあります。話を聞くと、業務命令を聞かない、同僚と衝突を繰り返す、自己中心的な要求を繰り返す、組織の秩序を乱す、といった行動を取る社員のことを指しています。
この呼び方は近年、急速に流通しました。書店には「モンスター社員対応」を扱う書籍が並び、弁護士や社労士のサイトにも「モンスター社員の対処法」という記事が増えています。経営者にとって、自分の悩みを言語化する便利な言葉として、定着しつつあります。
しかし、この言葉を使い続けることには、深く考えるべき側面があります。「モンスター」という呼称が、私たちの認識と対応の質に、どのような影響を与えているのか。便利な言葉が、実は私たちの判断を狭めていないか。
別の記事で、いわゆる「モンスター社員」を解雇する法的要件を論じ、別の記事で「辞めさせたい」と感じた時に立ち止まるべき問いを提示しました。本記事はその先で、もう一つ手前の問いを扱います。「そもそも、その人を『モンスター』と呼ぶことが、私たちに何をもたらしているのか」。
これは攻撃的な呼称への単純な批判ではありません。経営者として、組織を守り、結果として最も効果的な対応を選ぶための、認識の見直しを論じる記事です。
1. 「モンスター」という呼称が認識に与える影響
言葉は、ただの呼称ではありません。呼び方が、認識そのものを変えます。
1-1. 「モンスター」は人間ではない存在
「モンスター」という言葉が指すのは、本来、人間を超えた存在、得体の知れないもの、対峙すべき敵です。映画やゲームに登場するモンスターは、対話の対象ではなく、撃退や排除の対象として描かれます。
この語感を、職場の人間に対して使うことは何を意味するでしょうか。意識せずとも、その人を「対話の対象ではない存在」「排除すべき敵」として認識する心理的な構造が立ち上がります。
これは比喩ではなく、実際の心理メカニズムです。言葉は思考の枠組みを作り、思考の枠組みが行動を導きます。「モンスター」と呼ぶ行為は、その人との関係性を「対話と理解」から「対決と排除」へと、無意識のうちに変質させます。
1-2. 認識の変化が対応の質を下げる
ある社員を「モンスター」と認識した瞬間、対応の選択肢が狭まります。
対話を試みる前に、心の中では既に「あの人とは話が通じない」と決めつけている。指導や面談を行っても、本気で改善を期待していない。配置転換を検討しても「どこに移しても変わらない」と思い込んでいる。退職勧奨を進める時も、合意形成より「どうやって追い出すか」が頭にある。
これらの心理状態は、対応の質を確実に下げます。対話は形式的になり、指導は感情的になり、判断は粗くなります。そして対応の質の低さが、結果として法的紛争のリスクを高めます。
1-3. 相手にも認識は伝わる
そして、この認識の変化は、相手にも伝わります。
人間は、自分が相手からどう見られているかを敏感に察知します。「対話の相手」として扱われている時と、「排除の対象」として扱われている時では、受け取る空気がまったく違います。
「モンスター」と認識された社員は、自分への対応が形式的になっていることを察知します。本気で向き合われていないと感じる。すると本人もまた防衛的になり、対立が深まります。これが「モンスター化」と呼ばれる現象の一因となります。
つまり「モンスター社員」は、最初から存在するのではなく、組織側の対応によって作られていく側面があるのです。
2. 「モンスター」呼称が覆い隠すもの
便利な呼称には、別の代償があります。それは、組織側の問題を見えなくすることです。
2-1. 原因を本人に帰属させる構造
「あの人はモンスター社員だ」と呼んだ瞬間、問題の原因はすべて本人にあるという認識が固定されます。本人の性格、能力、姿勢、価値観に問題があるのだと。
しかし、組織の中で問題行動が発生する時、原因はしばしば複合的です。
これらの要因が絡み合って、問題行動として表面化します。本人の個人的要因だけが原因であることは、実は少ないのです。
「モンスター」と呼ぶことで、これら組織側の要因への目が閉じられます。「あの人がいなければ問題は解決する」という幻想が、実は変えるべき構造的要因を温存します。
2-2. 「モンスター社員」が次々と生まれる組織
組織側の要因が温存されると、興味深い現象が起きます。「モンスター社員」を辞めさせた後、しばらくして別の社員が同じ行動を取り始めることがあります。
これは「次のモンスター」が偶然現れたのではありません。組織の構造そのものが、特定の傾向の問題行動を誘発する設計になっていて、誰がその位置に来てもその行動を取る可能性が高い、ということです。
具体例。
これらは個別の社員の問題ではなく、組織の構造的問題です。「モンスター」呼称は、この構造的問題から目を背けさせます。
2-3. 経営者・管理職自身の振り返りが止まる
最も深刻なのは、「モンスター」呼称が、経営者・管理職自身の振り返りを止めることです。
「あの社員はモンスターだから、自分の対応に問題はない」という思考停止が起きます。本来は「自分の指導方法は適切だったか」「もっと早い段階で対応できなかったか」「組織の構造に変えるべき点はないか」という振り返りが必要なところで、それらが行われなくなります。
振り返りなしに次々と問題社員に対応していくと、経営者・管理職は対応疲れに陥ります。なぜ自分の組織には問題社員が多いのか、なぜ次から次へと対応が必要なのか、と感じる頃には、すでに組織の構造的問題は深刻化しています。
「モンスター」と呼ばずに、構造的に問題を捉え直すことで、初めて組織側の改善の糸口が見えてきます。
3. 呼び方を変えることで何が変わるか
「モンスター社員」という呼称を、別の言葉に置き換えてみると、何が変わるでしょうか。
3-1. 言い換えの候補
「モンスター社員」を、より中立的な言葉に置き換える候補はいくつかあります。
これらの言い換えに共通するのは、「人」ではなく「状況」「関係性」「行動」を主語にしていることです。本人の本質を判定するのではなく、本人と組織の間で起きている状況を記述する形に変わります。
3-2. 言い換えがもたらす認識の変化
呼び方を変えるだけで、認識が変わります。
「対応に苦慮している社員」と呼ぶと、「どう対応すべきか」という問いが立ちます。 「ミスマッチが顕在化している社員」と呼ぶと、「ミスマッチをどう解消するか」という問いが立ちます。 「組織との関係に課題がある社員」と呼ぶと、「関係をどう調整するか」という問いが立ちます。
これらの問いは、いずれも建設的な対応を導きます。対話、配置転換、業務調整、研修、専門家相談、合意退職など、複数の選択肢が視野に入ってきます。
逆に「モンスター社員」と呼ぶと、立つ問いは「どうやって排除するか」になります。これは選択肢を狭めます。
3-3. 言い換えは「擁護」ではない
ここで重要な点があります。呼び方を変えることは、本人を擁護することではありません。本人の問題行動を軽視することでもありません。
問題行動の事実は、変わりません。組織への悪影響も、変わりません。場合によっては解雇や懲戒処分が必要になることも、変わりません。
変わるのは、対応の質です。同じ問題行動に対して、感情的な排除発想で対応するか、構造的な解決発想で対応するかの違い。前者は組織を傷つけ、後者は組織を守ります。
「モンスター」呼称をやめることは、本人への配慮ではなく、組織のための判断の質の問題なのです。
4. 呼び方を変えた組織で起きる変化
呼び方を変えた組織では、いくつかの実質的な変化が起きます。
4-1. 対応の選択肢が広がる
最も明確な変化が、対応の選択肢の広がりです。
「モンスター社員」と呼んでいる組織は、対応が「指導するか、追い出すか」の二択になりがちです。指導しても改善しなければ追い出す、というシンプルな構造。
呼び方を変えた組織では、指導と追い出しの間に多様な選択肢が現れます。
業務範囲の調整
配置転換
メンター制度の導入
研修機会の提供
産業医との面談
業務日報の様式変更
評価制度の運用見直し
退職パッケージの提示
これらの選択肢の中から、状況に応じた最適な対応を選べるようになります。
4-2. 対応に関わる人々の心理的負担が下がる
「モンスター対応」と「対応に苦慮している社員への支援」では、関わる人々の心理的負担が大きく違います。
前者は「敵を排除する」というニュアンスを含み、関わる人々は緊張と疲労を強いられます。 後者は「課題に取り組む」というニュアンスを持ち、関わる人々は専門性を発揮する意識で取り組めます。
特に直属の管理職や人事担当者にとって、この違いは大きいです。同じ案件でも、心理的な構えが違えば、消耗の度合いがまったく違います。長期的には、これが管理職・人事担当者の継続可能性を左右します。
4-3. 当事者本人の反応が変わる
そして、当事者本人の反応も変わります。
「モンスター扱い」されている人は、防衛的になります。対話を拒否し、攻撃的になり、自己正当化を強めます。これが「モンスター化」の悪循環です。
「課題に取り組む対象」として扱われている人は、自分の状況を客観的に見つめる余裕が生まれます。会社が自分を排除しようとしているのではなく、状況を改善しようとしていると感じれば、本人も対話に応じやすくなります。
この変化は、結果として早期解決をもたらします。配置転換に応じる、合意退職を選ぶ、自発的に改善努力を始める、といった建設的な動きが、当事者から出てくる可能性が高まります。
4-4. 組織全体の認識が変わる
呼び方を変える影響は、当事者だけでなく組織全体に及びます。
「うちは問題社員を追い出す会社」という認識が広がると、社員は安心して働けません。「自分も問題社員と認定されたら追い出される」という不安が、組織全体の心理的安全性を下げます。
「うちは課題に取り組む会社」という認識が広がると、社員は安心して働けます。何か問題が起きても、感情的に排除されるのではなく、構造的に解決を試みる組織だと信頼できる。これが優秀な人材の定着と新規採用力につながります。
呼び方は、組織文化そのものを形作るのです。
5. それでも「モンスター」と感じる時に問うべきこと
ここまで論じても、「とはいえ、あの社員は本当にひどい」「言葉を変えたところで現実は変わらない」と感じる経営者の方もいるはずです。その感覚も否定しません。
実際に、対応に苦慮するレベルの社員がいることは、現実です。問題は感覚ではなく、その感覚を行動に移す方法です。
5-1. 感覚を直接行動に移さない
「モンスター」という強い感覚を抱いた時こそ、その感覚を直接行動に移さないことが重要です。
感覚と行動の間に、いくつかの問いを挟みます。
これらの問いを挟むことで、感覚が衝動的な行動に直結することを防げます。
5-2. 第三者の視点を借りる
特に有効なのが、第三者の視点を借りることです。顧問の弁護士、社労士、産業医、信頼できる外部のメンター。利害関係のない第三者に状況を説明し、客観的な意見を求めます。
第三者の視点を借りることで、自分の感覚がどの程度妥当か、組織側に振り返るべき点はないか、対応の選択肢として何があるかが見えてきます。
これは経営者が自分の判断を疑うためではありません。むしろ、自分の判断の精度を高めるための作業です。
5-3. 対応の記録を残す
そして、対応の経緯を記録に残します。
問題と感じた行動の事実、対応として行ったこと、本人の反応、自分の判断の根拠、第三者からの助言。これらを時系列で記録します。
記録があれば、後から自分の判断を振り返り、改善できます。また、本当に解雇や懲戒処分が必要になった時、記録が法的有効性を支える基盤となります。
「モンスター」という強い感覚を抱いた時こそ、記録を取る習慣が、自分の判断を健全に保つ防衛線となります。
まとめ:呼び方を変えることが、組織を守る
ここまで論じてきた内容を整理します。
「モンスター社員」という呼称は、便利で広く流通していますが、使い続けることには代償があります。呼び方が認識を変え、認識が対応を変え、対応の質が組織の運命を左右します。
「モンスター」と呼ぶことは、対話の相手を排除の対象に変質させ、組織側の構造的問題を覆い隠し、経営者・管理職自身の振り返りを止めます。これらは結果として、感情的な追い出し判断、法的紛争のリスク、組織全体の心理的安全性の低下を招きます。
呼び方を変えることで、対応の選択肢が広がり、関わる人々の心理的負担が下がり、当事者本人の反応が変わり、組織全体の認識が変わります。これは本人を擁護する話ではなく、組織のための判断の質の問題です。
経営者として「モンスター」という強い感覚を抱いた時こそ、その感覚を直接行動に移さず、問いを立て、第三者の視点を借り、記録を残す。これらが、感覚を健全な判断に変換する防衛線となります。
呼び方を変えることは、小さな実践に見えて、実は組織の長期的な健康を支える基盤的な実践です。明日から、自社の中で使う言葉を、少しだけ意識的に選んでみる。それが、組織と人の関係を、健やかな方向へ動かす起点となります。
呼び方を変えた組織運営を考えている方へ
MONTAIは、社員一人ひとりの状況を事実ベースで記録するインフラとして設計されています。「モンスター」というラベルではなく、具体的な状況、行動、対応経緯として記録することで、判断の質を高め、対応の選択肢を広げます。
「自社の労務対応の質を上げたい」「感情的な判断に流されない仕組みを作りたい」と考えている経営者・人事担当者の方からのご相談をお受けしています。
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