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はじめに
ある経営者の頭の中で、こんな会話が繰り返されていることがあります。
「あの社員は本当にひどい。業務命令は聞かない、同僚を攻撃する、無理筋のクレームを会社に投げてくる。もう限界だ。来月で辞めてもらおう」
この感覚は、経営者として無理もないものです。長年我慢してきた、組織への悪影響が続いている、他の社員のモチベーションも下がっている。「これ以上は事業が持たない」という判断は、経営者の責任感から生まれています。
しかし、ここで一度立ち止まる必要があります。「モンスター社員だから解雇」という判断は、現代の労働法では極めて高い確率で不当解雇判決を招きます。そして不当解雇判決の代償は、未払賃金、復職命令、慰謝料、訴訟費用、レピュテーションへの影響を含めて、数百万円から1,500万円規模に達します。
「行動が悪いから解雇できる」という直感的な判断と、「解雇の有効性が法的に認められる」という厳格な要件の間には、深い溝があります。本記事では、この溝の構造を解き明かし、解雇の手前で取るべき5つの段階を整理します。経営者・人事担当者の方が、感情的な解雇判断に流されず、結果として組織を守る判断ができるための実務記事として、お読みいただきたい一本です。
1. なぜ「悪い行動」だけで解雇できないのか
最初に整理すべき大前提があります。法律が解雇を厳しく制約している構造的な理由です。
1-1. 労働契約法16条の壁
日本の労働契約法16条は、こう定めています。
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」
この条文の含意は重いです。経営者が「合理的だ」と感じるだけでは足りず、客観的に合理的でなければならない。さらに社会通念上相当でなければならない。この二重の要件が、解雇の有効性を厳しく審査します。
特に「社会通念上の相当性」は曖昧に見えますが、実際の判例では極めて厳格に運用されます。問題行動があったとしても、その行動の悪質性、頻度、組織への影響、本人への指導の経緯、本人の弁明機会の付与、改善の可能性。これら全てを総合的に判断した上で、解雇という最終手段が相当だったかを判定します。
1-2. 労働契約法15条の懲戒権濫用
懲戒解雇については、さらに労働契約法15条が定めています。
「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする」
懲戒解雇は懲戒処分の中で最も重い処分です。減給、出勤停止、降格、諭旨解雇といった軽い処分を経ずに、いきなり懲戒解雇に至ることは、原則として認められません。段階的な処分を踏まずに懲戒解雇を行うと、ほぼ確実に懲戒権の濫用と判断されます。
1-3. 労働基準法15条と89条の手続要件
さらに労働基準法15条と89条は、懲戒処分について以下を要求しています。
つまり「就業規則に書いていないから懲戒できない」という状況も実際には多いのです。「あの行動は明らかにダメだ」と経営者が思っていても、就業規則の記載がなければ懲戒処分はできません。仮に懲戒処分を行っても、無効と判断されます。
1-4. 「悪い社員だから切れる」が通用しない構造
これらの法的構造を踏まえると、「モンスター社員だから解雇」という直感的判断が、なぜ法的に成立しないかが見えてきます。
法律が要求しているのは、「行動の悪質性」ではなく「手続の正当性」です。どれほど問題行動があっても、適切な手続きを踏んでいなければ解雇は無効。逆に、それほど深刻でない問題行動でも、適切な手続きを踏んでいれば解雇は有効と判断されることがあります。
これは経営者の感覚と乖離する部分ですが、現代の労働法はそう構築されています。この事実を受け入れた上で、では何ができるかを考える必要があります。
2. 「モンスター社員」と呼ばれる典型例と、それぞれの解雇可能性
具体的に、どのような行動が「モンスター社員」と呼ばれているか、それぞれの解雇可能性はどうかを整理します。
2-1. 業務命令違反
最も多い類型が、上司の業務命令に従わないというものです。指示した業務を実行しない、独自の判断で別の業務を行う、業務命令の正当性を執拗に争う、といった行動。
業務命令違反による懲戒処分は、判例上認められています(最高裁平成10年7月17日判決など)。ただし以下の要件が必要です。
「業務命令を聞かないから即解雇」は通りません。書面で業務命令を出し、命令に従う旨の確認を取り、違反があれば書面で記録し、まず軽い処分(戒告等)から始める。この段階を踏まずに解雇すると、ほぼ確実に無効判決です。
2-2. 協調性の欠如
職場の同僚との関係性に問題がある社員も、「モンスター社員」と呼ばれることがあります。同僚を攻撃する、チームワークを乱す、独善的な言動が周囲を疲弊させる、といった行動。
協調性の欠如を理由とする解雇は、極めてハードルが高いです。判例では以下の3条件が示されています。
「同僚と仲が悪い」「チームの雰囲気を悪くしている」程度では、解雇の理由になりません。具体的な業務上の支障を立証し、配置転換による改善の可能性を検討し、本人への指導を尽くす必要があります。
2-3. ハラスメント加害行為
部下や同僚に対してハラスメント行為を行う社員も、「モンスター社員」と呼ばれます。パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、モラルハラスメントなど。
ハラスメント加害行為による懲戒処分は、行為の重大性に応じて段階的に判断されます。極めて悪質な行為(性的暴行、身体的暴力等)であれば懲戒解雇が認められる可能性もありますが、多くの「ハラスメント疑義」のケースは、まず事実認定の段階から慎重な手続きが必要です。
特に注意すべきは、「ハラスメント被害者の主張だけで解雇」は通らない点です。客観的事実の調査、加害者の弁明機会の付与、複数の関係者からのヒアリング、過去の同種事案との整合性。これらを踏まずに解雇すると、加害者側から不当解雇訴訟を起こされ、会社が敗訴するリスクがあります。
2-4. 勤怠不良
無断欠勤、頻繁な遅刻、業務時間中の怠業など、勤怠に問題がある社員も「モンスター社員」とされます。
勤怠不良による解雇も、段階的な対応が必要です。注意指導、改善期間の設定、改善が見られない場合の処分。突然の解雇は、たとえ無断欠勤が長期間続いていても、有効性に疑義が生じる可能性があります。
ただし「2週間以上の正当な理由のない無断欠勤」は、就業規則に定められていれば懲戒解雇事由として比較的認められやすい類型です。
2-5. 経歴詐称
入社時に経歴を詐称していたことが後から判明するケースも、「モンスター社員」と呼ばれることがあります。
経歴詐称による解雇は、詐称の内容と重大性によって判断されます。最終学歴、職歴、資格、犯罪歴など、採用判断に重要な影響を与える事項の詐称は、懲戒解雇の対象となり得ます。ただし、軽微な詐称(前職の年収を多めに申告した等)では解雇は認められにくい傾向があります。
3. 解雇の手前で取るべき5つの段階
解雇に至る前に、必ず以下の5つの段階を順に踏む必要があります。この段階を飛ばすと、後の解雇が不当解雇と判断されます。
3-1. 第1段階:口頭注意
問題行動が見られた時、まず行うべきは口頭での注意です。
注意のポイント。
口頭注意の段階で、多くの問題は解決の方向に向かいます。問題が深刻化するのは、この段階で経営者・上司が「言っても無駄だ」と諦めて、注意自体を行わなくなる時です。
そして極めて重要なのが、口頭注意した事実の記録です。「いつ、誰が、どのような内容で、どう注意したか、本人はどう応答したか」を、その日のうちに記録します。記録がなければ、後の段階で「注意した」と主張しても証拠になりません。
3-2. 第2段階:書面による注意指導
口頭注意を繰り返しても改善が見られない場合、書面による注意指導に進みます。
書面に記載すべき項目。
書面は本人に手渡し、受領のサインを取ります。本人が受領を拒否した場合は、受領拒否の事実を記録します。内容証明郵便での送付という方法もあります。
書面による指導は、「会社が公式に問題を認識し、改善を求めた」という事実を証拠化します。これが後の段階で、解雇の有効性を支える基盤となります。
3-3. 第3段階:改善計画の提示と機会の付与
書面指導を行っても改善が見られない場合、より構造的な改善計画を提示します。
改善計画に含めるべき要素。
改善計画は、本人と話し合いの上で合意することが望ましいです。一方的に押し付ける形では、後に「達成困難な目標を課された」と主張される可能性があります。
そして改善期間中は、合意した支援を確実に実施します。「目標だけ設定して放置」では、改善機会を実質的に与えたとは認められません。
3-4. 第4段階:軽微な懲戒処分
改善計画期間中に改善が見られない、あるいは改善計画期間中に新たな問題行動があった場合、懲戒処分を検討します。
ただし、いきなり懲戒解雇ではなく、軽微な処分から始めます。
これら軽微な処分を経ることで、「会社は段階的に対応してきた」という事実が積み上がります。後に懲戒解雇が必要になった場合、この段階的対応の記録が解雇の有効性を支えます。
懲戒処分の前には、必ず本人への弁明機会を付与します。これは形式的な手続きではなく、本人の言い分を聞き、認識のズレを確認するための実質的なプロセスです。弁明機会を欠いた懲戒処分は、それだけで無効と判断されることがあります。
3-5. 第5段階:退職勧奨
軽微な懲戒処分を経ても改善が見られない場合、退職勧奨を検討します。
退職勧奨は、合意による退職を目指すプロセスです。詳細な進め方は別の記事で論じていますが、ここで確認しておくべき点が3つあります。
第一に、退職勧奨は「お願い」であり、本人には拒否する自由があります。執拗な勧奨や威圧的な言動は違法な退職強要と判断されます。
第二に、退職勧奨が成立すれば、合意退職として雇用関係が終了します。これは解雇よりも紛争リスクが大幅に低い解決方法です。
第三に、退職勧奨が拒否された場合、その後の対応として解雇を検討することになりますが、これまでの段階を全て踏んでいることが解雇の有効性を支える基盤となります。
4. 5段階を全て踏んだ後の「解雇」
ここまでの5段階を全て踏んだ上で、それでも改善が見られず、退職勧奨も拒否された場合、最終手段として解雇を検討します。
4-1. 解雇の有効性を支える条件
この段階での解雇が有効と認められるためには、以下の条件が揃っていることが必要です。
これら全てが揃って初めて、解雇は有効と判断される可能性が高まります。一つでも欠けていると、不当解雇判決のリスクが残ります。
4-2. 解雇予告と解雇予告手当
解雇を実行する場合、労働基準法20条の解雇予告義務を守ります。
これは雇用形態を問わず適用されます。「翌日から来なくていい」という形での解雇は、ほぼすべての場合に労働基準法違反となります。
懲戒解雇の場合、労働基準監督署長の認定を受ければ解雇予告義務が免除されますが、認定を受けるのは限定的なケースです。一般的には、懲戒解雇でも解雇予告か解雇予告手当の支払いが必要です。
4-3. 解雇通知書の交付
解雇を実行する際は、解雇通知書を交付します。
通知書に記載すべき項目。
解雇理由を明確に記載することは、後の紛争で会社の主張を支える基盤となります。「総合的な判断」「会社の方針」といった曖昧な記載では、裁判で会社が不利になります。
4-4. 解雇後の対応
解雇後、本人から解雇理由の証明書を求められた場合(労働基準法22条)、速やかに交付します。これは法的義務です。
また、解雇後に本人から不当解雇の訴えがあった場合、速やかに弁護士に相談します。記録が揃っていれば、弁護士は短時間で対応戦略を立てられます。逆に記録が不足していると、対応戦略の立案にも時間がかかり、結果として不利な立場に追い込まれる可能性があります。
5. 「面倒な段階」こそが、組織を守る
ここまで論じてきた5段階の手続きは、経営者にとっては「面倒な手続き」に見えるかもしれません。「悪い社員だと分かっているのに、なぜこんなに面倒な段階を踏まなければならないのか」と感じる方もいるはずです。
しかし、この面倒な段階こそが、結果として組織を守ります。
5-1. 段階を飛ばした解雇のコスト
段階を飛ばして解雇を行った場合、不当解雇判決のリスクが大幅に高まります。判決が出れば、以下のコストが発生します。
これらを合計すると、1件あたり1,000万円から1,500万円規模の損失になります。
5-2. 段階を踏んだ場合の見えない利益
逆に、5段階を順に踏んだ場合、以下の見えない利益があります。
これらの利益は数値化されにくいですが、長期的には解雇関連のリスクを大幅に低減します。
5-3. 「モンスター社員」を生まない仕組みの方が重要
そしてもう一つ重要な事実があります。問題行動が深刻化して「モンスター社員」と呼ばれる状態に至るのは、多くの場合、初期段階での対応不足が原因です。
最初の小さな違和感の段階で適切な指導を行い、記録を残し、対話を続けていれば、問題は深刻化する前に収束することが多いです。逆に、初期の問題を放置し続けた結果、本人の問題行動がエスカレートし、組織側も対応に追われて疲弊する。このパターンが「モンスター社員」現象の本質です。
つまり、解雇を考える段階に来る前の段階で、組織として記録と対話の仕組みを整えておくことが、最も効果的な「モンスター社員」対策となります。これは別の記事で詳しく論じています。
まとめ:解雇は最終手段、その手前で勝負が決まっている
ここまで論じてきた内容を整理します。
「モンスター社員だから解雇」という直感的判断は、現代の労働法では通用しません。労働契約法16条と15条、労働基準法15条と89条が定める要件は、感情的な解雇を厳しく制約します。
解雇の有効性は、行動の重大性だけで決まるのではなく、段階的な手続きを踏んでいるかで判定されます。口頭注意、書面指導、改善計画、軽微な懲戒処分、退職勧奨。これら5段階を順に踏むことが、解雇の有効性を支える基盤となります。
そして、この段階を飛ばして解雇を行った場合、不当解雇判決のコストは1,000万円から1,500万円規模に達します。一方、段階を順に踏んだ場合、多くの問題は途中で解決するか、合意退職に至ります。「面倒な段階」こそが、結果として組織を守る防衛線です。
経営者として「あの社員はもう限界だ」と感じた時、その感覚を疑う必要はありません。しかし、解雇という最終手段に飛ぶ前に、自社が必要な段階を全て踏んできたかを確認する。記録は揃っているか。指導の経緯は時系列で残っているか。本人への弁明機会は与えてきたか。これらが揃っていなければ、解雇判断を急がず、まず段階を整えることから始めます。
これは経営者の責任感を否定するものではありません。むしろ、長期的に組織を守るための、より高度な責任の果たし方です。
解雇判断の手前で記録を整えたい経営者・人事担当者の方へ
MONTAIは、解雇に至る前の各段階の対応を、組織として記録するインフラとして設計されています。日々の業務の問題行動の記録、口頭注意・書面指導の経緯、改善計画と評価、懲戒処分の手続き、退職勧奨の対話。これらを時系列で一元管理し、必要時に顧問弁護士・社労士が即座に参照できる権限設計です。
「解雇を検討する段階に来ているが、本当にこれで大丈夫か不安」「これまでの対応の記録が散逸していて整理できない」といった段階から、ぜひお声がけください。
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