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「人的リスク」という言葉を耳にする機会が、ここ数年で急速に増えました。背景には、人的資本開示の義務化、コーポレートガバナンス・コードの改訂、ハラスメントや労務トラブルの社会的可視化など、人事領域を「経営リスク」として捉え直す潮流があります。しかし、その輪郭は依然として曖昧で、「従来の労務管理と何が違うのか」「どの部門が、どの粒度で取り組むべきか」が整理できていない企業も少なくありません。
本記事では、人的リスクマネジメントの定義と経営課題としての位置づけを、観察と記録に基づく「仕組み化」の視点から体系的に整理します。属人化しない組織運営の土台を考えるうえでの共通言語として、ご活用ください。
人的リスクマネジメントとは何か
定義と対象範囲
人的リスクマネジメント(Human Risk Management)とは、従業員・管理職・経営層の行動、組織運営、労務管理に起因して発生しうる経営リスクを、予防・早期発見・対応の各フェーズで体系的に管理する経営活動を指します。対象となるリスクは広く、ハラスメント・コンプライアンス違反・労働関係訴訟・メンタル不調の発生・離職連鎖・組織文化の毀損・ガバナンス機能不全まで含まれます。
重要なのは、人的リスクが「問題社員」「個別事案」といった局所の課題ではなく、組織の制度・運用・判断プロセスに横串で関わる課題として扱われる点です。経営視点で捉えれば、人的リスクは売上や利益を毀損する経営リスクであり、同時に、ブランド価値・人的資本・ガバナンス評価に直結する戦略資産の裏返しでもあります。
「労務リスク」との違い──経営課題としての上位概念
人的リスクマネジメントは、従来の「労務リスク管理」より広い概念です。労務リスク管理が、法令遵守・就業規則運用・訴訟対応といった守りの実務を中心に構成されるのに対し、人的リスクマネジメントは、それらを包含しつつ、以下の経営レイヤーにまで視野を広げます。
言い換えれば、人的リスクマネジメントは「人事の話」ではなく、**「人事を経営の話として扱い直す枠組み」**です。扱い手が人事部門に閉じず、経営企画・法務・内部統制・取締役会まで広がる点に、従来との本質的な違いがあります。
なぜ今、人的リスクが経営アジェンダに浮上しているのか
この10年で、人的リスクが経営マターとして扱われる必然性が高まっています。主要な背景は次の4点に整理できます。
第一に、人的資本開示の制度化です。2023年3月期から、有価証券報告書において人的資本・多様性に関する情報開示が義務化されました(内閣府令「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正)。これに伴い、離職率・研修投資・エンゲージメントスコア・多様性指標などが、投資家・規制当局・求職者の視線にさらされるようになりました。
第二に、コーポレートガバナンス・コードの改訂です。2021年6月の改訂では、取締役会の実効性評価、サステナビリティ(人的資本を含む)への取組み、内部通報制度の整備が明記されました(東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」)。人事領域がガバナンス文脈で議論されるようになったのは、比較的最近の変化です。
第三に、労働関係訴訟・ハラスメント事案の可視化です。厚生労働省「令和4年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、総合労働相談件数は高止まりを続け、内容別では「いじめ・嫌がらせ」が上位を占めます。SNS・口コミサイトの普及により、事案が社外に波及するスピードも格段に速くなりました。
第四に、人手不足と採用難の深刻化です。総務省「労働力調査」が示すとおり、生産年齢人口の減少は続いており、優秀層の離職は経営にとって直接的な損失です。人的リスクの一つとして「真面目な従業員の離職」を位置づける視点が、いまや標準になっています。
こうした構造変化のもとで、人事を「部門のオペレーション」としてのみ扱う姿勢は、経営のリスク感覚と整合しなくなってきています。人的リスクマネジメントは、そのギャップを埋めるための経営インフラとして位置づけられるようになりました。
企業が直面する3つの人的リスク領域
人的リスクを経営視点で俯瞰すると、次の3領域に整理できます。いずれも単独で完結するものではなく、相互に連鎖して経営損失を増幅させる性格を持ちます。
人的リスクマネジメントが「感情ではなく記録とプロセス」である理由
人的リスクマネジメントを実装するうえで、MONTAIは「感情ではなく記録とプロセス」という軸を一貫して重視しています。この軸が必要な理由を、3つの側面から整理します。
属人化が招く判断の揺らぎ
人事判断は、担当管理職・人事担当者の経験や価値観に依存しやすい領域です。同じ事象でも、担当者が変われば解釈が変わる。評価のタイミングが違えば、重大性の受け取り方も変わる。この属人性は、現場では「柔軟さ」として評価される一方、経営視点では判断の一貫性を欠くリスクとして作用します。
属人化の解消は、管理職を「管理しない」ことではありません。管理職の観察眼と判断力を、組織の共通資産として活用できるよう、記録のフォーマットと共有プロセスを標準化することに他なりません。
記録不備がもたらす「選択肢の喪失」
人事領域で最も痛手となるのは、「判断が必要になった時点で、判断のための根拠が手元にない」状況です。指導の事実、注意の内容、改善の期待水準、再発の有無──これらが記録として残っていなければ、後から何が起きたかを正確に再構成することはできません。
その結果、本来であれば選択可能だった配置転換・業務改善指導・懲戒検討といった選択肢が、証拠不足を理由に断念されます。MONTAIが支援する「指導フェーズ」「懲戒フェーズ」で繰り返し現れるのが、まさにこの選択肢の喪失です。
記録は、後から自由を取り戻すためのインフラです。日々の記録がなければ、どんなに高度な法的助言を仰いでも、使える材料がないまま判断を迫られることになります。
裁判例に見る「記録の質」の重要性
労働判例を俯瞰すると、使用者の主張が記録・証拠によって裏づけられたかどうかが、結論を左右する局面が繰り返し現れます。代表的なものとして、勤務成績不良を理由とする解雇の有効性を厳しく判断した高知放送事件(最二小判昭和52年1月31日)では、指導・教育の機会提供や改善可能性の検討が、解雇の相当性の判断要素として扱われました。また、業務命令違反への対応が問題となった事案では、経過の記録化・段階的指導の有無が判断材料として注視されています。
判例の示唆は明快です。**「観察したか」ではなく「記録として残っているか」**が、法的判断の実務を動かす。これは、訴訟になった後の話ではなく、日常の記録設計そのものに直結する論点です。
なお、本記事は特定の労務対応の法的適否を判断するものではありません。実際の事案に即した判断については、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。
人的資本経営・内部統制との接続
人的リスクマネジメントは、いわば経営インフラの一階層として機能します。上位概念である人的資本経営・コーポレートガバナンス・内部統制と、どのように接続するかを整理します。
人的資本開示(ISO30414等)との関係
人的資本開示の国際的な枠組みであるISO30414は、人的資本に関する情報の測定・報告のためのガイドラインを提示しています。日本国内でも、経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」を契機に、人的資本の「見える化」「投資化」「説明」の流れが加速しました。
開示の文脈で問われるのは、数字の体裁ではなく、その数字を支える運用の健全性です。エンゲージメントスコアや離職率が開示されても、それを改善するための指導・記録・対話のプロセスが機能していなければ、開示情報は短期の印象操作にしかなりません。人的リスクマネジメントは、開示される数字の背後にある「事実の質」を担保する役割を担います。
コーポレートガバナンス・コードとの整合
コーポレートガバナンス・コード(東京証券取引所)は、プリンシプルベースの枠組みで、取締役会の実効性、内部通報制度の整備、サステナビリティ課題への対応を求めています。人的リスクマネジメントは、これらの原則を人事領域で具体化するための実装です。
とりわけ、**「人事判断が、社内外に対して説明可能な形で下されているか」**は、取締役会が監督すべき重要論点です。属人化した判断、記録のない対応、プロセスの不透明さは、いずれもガバナンス上の脆弱性として可視化されます。
内部統制の「統制環境」としての人事領域
内部統制報告制度(金融商品取引法)における統制環境は、全ての統制の基盤です。統制環境には、誠実性と倫理観、経営者の哲学と経営スタイル、権限と責任、人的資源の方針と管理が含まれます(財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準)。
この定義に照らせば、人的リスクマネジメントは、まさに統制環境の中核を担う活動です。人事対応の標準化、記録の客観性、説明責任のプロセス化は、内部統制を書類上ではなく運用上で機能させるための具体手段となります。
実務で取り組む4つのステップ
人的リスクマネジメントを経営インフラとして立ち上げる際、現場で有効に機能するプロセスは、次の4ステップに整理できます。
MONTAIの資料請求ページでは、4ステップの具体的な運用例、記録フォーマットのサンプル、運用パターン別(イベントドリブン型・人事配布型・限定常設型)の導入シナリオをご紹介しています。自社の現状に合わせた立ち上げイメージを、具体的にご確認いただけます。
よくある誤解と向き合い方
人的リスクマネジメントを巡っては、いくつかの誤解が流通しています。ここでは、MONTAIが重視する設計思想にも触れつつ、誤解を解消します。
人的リスクマネジメントは「観察と記録」を基盤としますが、これは監視とは異なります。記録対象は、業務上の行動・指導の事実・対応の経過など、説明責任の対象となる事実に限定されます。評価や感情を書き残すこと、常時の行動追跡は、目的にも設計にも含まれません。
MONTAIに搭載されたAI機能は、記録内容に応じて関連する社内規程をピックアップし、担当者の参照を助ける補助機能です。懲戒・配置転換・解雇といった人事判断を、AIが自動で下す設計にはなっていません。最終的な意思決定の主体は、常に経営・人事・法務です。
記録プロセスを標準化し、評価や感情の書き込みを排することで、むしろ属人性の混入を抑えることが目的です。閲覧権限を役割単位で制御することで、記録が特定個人によって濫用される構造も予防します。
人的資本開示・コーポレートガバナンス・コードは、上場・準上場企業を中心に制度化が進んでいます。一方、非上場の中堅〜大手企業においても、人材の確保・エンゲージメント・説明責任の観点から、人的リスクマネジメントの実装は経営課題として浮上しつつあります。規模や上場区分に関わらず、**「属人化しない組織運営」**を目指す企業にとっての共通論点と捉えるのが実態に近いでしょう。
MONTAIが提供する「人的リスク管理インフラ」
MONTAI(モンタイ)は、国内において唯一、人的リスク管理と、その中核領域である問題社員対応にフォーカスしたSaaSです。社労士・人事コンサル、各種HR SaaSがカバーしきれない「指導フェーズ」「懲戒フェーズ」の合理化を主眼に設計されています。
提供価値は、次の3つに整理されます。
なお、MONTAIは「記録の仕組み化」を担うインフラであり、法的判断を代替するものではありません。具体的な人事対応・訴訟対応については、社会保険労務士・弁護士等の専門家に相談のうえでご判断ください。MONTAIは、専門家に相談する前の「記録の質」を高めるツールとして機能します。
まとめ
人的リスクマネジメントは、「問題社員への個別対応」でも「労務トラブルの火消し」でもありません。従業員の行動・組織運営・人事判断に起因する経営リスクを、観察と記録の仕組み化によって、属人化させずに扱えるようにする経営インフラです。
本記事で整理した論点を振り返ると、人的リスクマネジメントは、人的資本経営・コーポレートガバナンス・内部統制という経営の上位概念と接続しながら、日常の記録と判断プロセスに具体化されていく活動です。感情ではなく記録とプロセスで意思決定を支える構造を整えることが、真面目に働く従業員を守り、経営の説明責任を果たし、組織の新陳代謝を健全に保つことに直結します。
MONTAIは、この「人的リスク管理インフラ」の立ち上げを、最短3週間・最長2週間のデモ環境つきで支援しています。自社の現状を整理し、運用モデル(イベントドリブン型・人事配布型・限定常設型)を検討する段階の方にも、実運用の手触りを確認いただける設計です。
参考・引用
東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」(2021年6月改訂)
経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」
内閣府令「企業内容等の開示に関する内閣府令」(人的資本開示関連改正)
厚生労働省「令和4年度個別労働紛争解決制度の施行状況」
総務省「労働力調査」
企業会計審議会「財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準」
ISO30414:2018(人的資本報告に関するガイドライン)
最高裁判所第二小法廷判決 昭和52年1月31日(高知放送事件)


